ミュージシャンの渡辺貞夫さんが今日のゲストでございます。 愛想笑いじゃないでしょ?今日のゲストは♪~マンデラ元南アフリカ大統領からは自宅に招かれるなど世界の要人をも虜にしています。 今ちょっとあの…大事な大事な楽器をあちらの隅っこに置いていただいたんですけどもちょっと体から離れると不安じゃないですか?大丈夫でしょ?大丈夫?ふふふっ。 まあその…60年以上現役でやってらっしゃるわけですが過去にさかのぼっていただいて記憶の中で今でもきらめいている一曲を…。 この「Adagio」の最初の音聴いてみてください。
少年時代にそれでたまたま宇都宮の楽器屋さんにクラリネットがぽつんと立ってたっていう。 それでクラリネットから高校時代16歳ぐらいから始まりまして。 渡辺さんがクラリネットを始めたのは終戦から3年たった1948年。 まず宇都宮のダンスホールから始まって進駐軍とか鬼怒川温泉ホテルとか金谷ホテルとかああいう所でディナーミュージックやったりダンスミュージックやったり…。
ですからヨーロッパからもとにかくジャズミュージシャンをそれが29歳になってジャズの音楽学校にいけるっていう。 やっぱり学ばれたジャズっていうのはそれまでやってらしたこととは全然違ったんですか?アメリカに行くまではマイルス・デイヴィスが格好いいフレーズを吹くとそれをまねするわけですよね。 ええウエストコーストからミドルウエストとか…。 日本に帰ってらしてからやっぱりそのころの若手のジャズマンたちも吸収したくてしょうがない…。
それでどうなったんですか?それから70年にアフリカケニアに行く話がありましてそれでアフリカ行ってナイロビのラジオ局に出演したんですよ。 それでローカルのバンドディスコバンドですよねロックバンドっていうか。 そこにテナープレーヤーが1人いまして楽器を見たらねもうボコボコにへっこんでてリードっていうのが真っ黒けでギザギザでね。 でも実際にはあれですか体力的に例えばサックスって結構…。 だから楽に音を出そうと思うといろいろマイクロフォンから何からなんかジャズクラブみたいな感じの所で。