黒柳徹子:これは、47年前、ビートルズが日本に到着した時の有名な画でございますが。 今日のお客様は、今は音楽評論家、作詞家でいらっしゃいますが、当時はお若かったんですが…。 黒:今日のお客様は作詞家でもいらっしゃるんですが、音楽評論家でいらっしゃいますね。 その前に、なんかC型肝炎になってらっしゃるんですって?湯:この前ね、伺ってた頃は本当にC型肝炎で、もう、それをいかに発症させないかっていう。
黒:でもまあ、もしかしたら、入ってらしたら、私は今頃、同期生っていう、NHKの5期生で同期生って事になってたんですけどね。 だって、当時、女の評論家の人なんか、音楽評論家いなかったから。 黒:だって、ジャズのそういう、『SwingJOURNAL』とか、ああいう雑誌があって、そういうのに投稿なんか、もしなさるとすると、女の子が投稿するなんて珍しいっていう時代でしょ。
でもね、そのね、18歳上のフィリピンで戦死した兄が、その戦場に行く直前に、私と、その病弱な母のために、目黒の屋敷の庭に防空壕、掘っていってくれたの。 その兄が一生懸命、描いてた絵っていうのは、金髪の女の人がマイクロホンの前でで、「コロムビア・レコーズ」なんていって、こう、ナンバーが振ってある。 日本とかフィリピンとかのコンサートツアーもすべて一括して情報…、写真、取材をタイムライフ社にもう、すごい困って。
永島さんから、ビートルズが「ザ・武道館」っていう腕章を欲しがっているから。 湯:それは、その口実で、向こうのマネジャーさんに、タイムライフに全部売った独占取材を、まあ、その契約上、困らないように、撮らなきゃいけないっていうそのカメラを、茶封筒の中に入れて、ストロボ4個、撮り方を教えていただいて。 今は、皆さん、わかっていただけないけど、その頃は、『ビートルズがやって来るヤァ!ヤァ!ヤァ!』とか、『HELP!』とか、リンゴがめちゃくちゃ人気が…。
黒:でも、それにしても私、コンサート行ったんですよ、武道館の。 それに私はその頃、なかなか、ちゃんと理路整然とは抵抗出来なくて。 黒:ただ、あの頃っていうのは、大人が、ギター持ってただけで、もう不良っていった時代ですからね。 今でも、だから、そんな、うるさくて音楽かって言われるけど、やっぱり、その時代の乗り物のスピードとか、その時代の騒音とか、いろんなものの中で私たちは、その時代の音楽を選び取って聴いてるんですね。