まあね、本当にビックリいたしましたけど、51年前。 橋幸夫さん、今日のお客様です。 橋幸夫:どうぞ、よろしくお願いします。 7回目のご出演、橋幸夫さん、歌手でいらっしゃいます。 黒:ビックリしましたね。 橋:私もビックリしたんですよ。 でも、それにしても、あの時は『いつでも夢を』って、あれ、デュエットで大評判になったんだけど、あれ、お録りになった時っていうのは、実は…。 吉永小百合さんと。
黒:今は、どんなにバラバラでも、録れますけど、当時は、ラジオドラマでもなんでもそうですけど、音楽も生。 黒:でも、後にお会いになったでしょ、吉永小百合さんに。 でも、それにしても、まあ、あなたは本当に、1曲目が潮来の伊太郎だったもんですから、この『いつでも夢を』。 潮来の伊太郎が当たったからといって、2年間の間に27枚もシングルが出ていて。 橋:それで、毎回、先生方が奔走して、どこの会場にするか、そんな事もやってらっしゃったらしくて。
黒:でも、あれですよね、レコード大賞新人賞っていうのは、なんか、あなたのために出来たんですって?橋:ええ、その前年にはなくて、僕の出た昭和35年に、第2回目のレコード大賞で僕がデビューしたので、新人賞を作ろうっていう事になって。 それ、すごくありません?橋:今で言えばプロジェクトチームですけどね。 5人のプロジェクトチームで、ずっと仕事してました。 それで、1年も経つか経たないうちに、あなたのワンマンショーみたいな?橋:ええ、デビュー9か月後ですね。
黒:へえー!橋:本当に、全部非常口が開いちゃってですね、暗転にして開けるんだけど、明るいんですよ。 機動隊って、当時は名前があったかどうかわからないけど、一個中隊とかっていう人がバーッと来てですね。 黒:総入れ替えで、3000人ずつ入って5回やったら、黒:アトラクション。 映画やって、その間に、みんな、ちょっと休んで、で、また、そこでもってアトラクションあってっていう感じでした。
黒:また、可愛いんですってね、孫っていうものが。 橋:可愛いですね。 黒:溺愛出来るんですってね、もう、なんか…。 じゃあ、自分の子どもを、そんなに可愛がったらいいじゃないかって思うけど、やっぱり、自分の子どもは違うのね。 黒:でも、もう、随分大きいですよね?橋:一番上の孫が、もう今年、中学1年生です。 2番目が小学校2年生。 で、この間出来て、ちょうど1歳になったのが、一番下なんですね。 黒:可愛いでしょ?橋:可愛いですね。 橋:僕は、一番最初の子が…、孫が出来た時に、「なんて呼ばせようかな?」。
黒:でも、あれなんでしょ、そのお嬢さんは、あなたが、要するに橋幸夫さんという人がお父さんだっていうのが、イヤだったんだって?橋:そうですね。 ちょうど学生時代だったんで、一番…、なんていうんですかね、親が何をしているかって…、「橋」って僕、本名なもんですから。 橋:だから、どこ行っても、「橋、橋」って言われるとですね、娘は「橋幸夫の」って言わなくても、なんか、そうじゃないかって、この雰囲気がイヤなんでしょうね。
ちょっと、普通の基本的な書を学んだあとに、これ、格好いいなと思う書に、ぶち当たったんですよ。 黒:なんか、お名前あるんですか?橋:インテリア書っていうんですけどね。 黒:インテリア書?橋:ええ。 普通の書道っていうのは、こう、非常に…、楷書、草書、行書ありますよね。 橋:こういうのを、例えば、インテリアで部屋の中にポッと額入れて飾るとか。 黒:校長先生が「みんな一緒だよ」って、障害持った子も、いろいろ、いっぱいいたんですけど、黒:えー、大きな色紙があるもんですね。
台湾が、ちょうど今、カラオケブームなんですね。 黒:へえー、今頃?橋:ええ、日本人の歌をどんどん歌ってるんですね。 黒:へえー、日本語で?橋:日本語で。 橋:向こうの言葉でもありますけども、日本語は、中年以上の方は、ほとんど知ってるんですって。 3年連続で台北公演したんですね。