徹子の部屋

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この番組のまとめ

黒柳徹子:これはいい写真ですね。 西田敏行:そうですね、撮影の合間に。 黒:前回のご出演の時には、故郷の福島の事などを語っていただきました。 西田敏行さん、今日のお友達…、今日のお客様です。 お友達なんでしょ…、お客様です。 西:福島から来た西田敏行です。 私も福島弁はね、やっぱり、自分のネーティブな言葉なんで、しっかりとしゃべれるんで。 そこでお世話になってたんだけど、父に召集令状きたんで、東京帰っちゃったんで、あんまり長く行かなかったんですけど、皆さんに親切にしていただきました。

故郷の方でね、東京って…、俳優になるんだ、東京だと思った時に、上野に行けば、石原裕次郎さんがいるんだと思っててさ、東京駅に…、あ、上野駅に石原裕次郎さんがいるように思ってたって、あなた、おっしゃいましたよね。 家内がやっぱり、ちゃんと食事をいろいろ気を使ってくれて、野菜中心のっていうんですか。 あんまり、最初は、もう、なんか、野菜中心の食事をしてるんだみたいな事を、あんまり言うのは、なんだかね、気恥ずかしいようなところがどこかにあったんですけど。

22年間、三國連太郎さんと仕事が出来たなんて。 なんか、やっぱり、三國連太郎という、その芸名、つまり、木下惠介監督の『善魔』という作品で、三國連太郎という新聞記者、若い新聞記者やったんですね。 だから、佐藤政雄という本名は、もう全部消してしまって、三國連太郎として、ずっと生きてこられたんですよね。

西:健康について、本当に、体が丈夫じゃなければ、絶対に、なんか三國さんがおやりになった『異母兄弟』。 黒:あの『異母兄弟』という映画を、黒:お手伝いさん。 録音部が「オーケー、オーケー」っつって言うんですけど、録音部さんは「全然、音声わかりません」とか言うんだけど、「アフレコでいいんだよ!」とかなんとかって言ってね。

いわゆる、僕にとっては伯母夫婦ですよね。 黒:伯母夫婦に、うん。 西:だから、異母兄弟が、いっぱい上にいるって事が、あとでわかって。 僕は、兄っていうと、どうしても高倉健さんのイメージしかなくて。 「兄貴」って言うと、パッと振り向くと、やっぱり高倉健さんがいてくれたらいいなっていう風に思ってたんですけども、高倉健さんではなかったですね。 西:それも、石原裕次郎さんと同じような気持ちで、東京に行けば会えるだろうっていう、ものすごい雑な考えで来たんですけど。

西:中学校卒業と同時に、東京に出ようかなって。 それから、東京にいらして何十年ですって?西:50年です。 だから、東京に出てきたのも俳優になるために、福島なまりは取れないとダメだろうと思って、バイリングになりたいから…。 あ、バイガリング?黒:バイリンガル。 西:バイリンガルね。 西:そしたら、まあ、東京の友人がなかなか出来ないのは、みんな笑うんですよ、俺がしゃべると。 黒:でも、あなたを育ててくださったご両親は、あなたが東京に来て、それで、いろんな事を…。