その間に、ご結婚なさいまして、ずっとロサンゼルスにお住まい。 それからずっとロサンゼルスにお住まいで、お嬢様を2人、お産みになって。 そうでもないんですか?マ:ええ、あの…、基本、引退という形よりも、子育てに専念するために、休業という形を、ロサンゼルスの方にいらっしゃったので、ご主人が国際線の?マ:パイロットで、帰ってきたら、安らげるように頑張りなさいという事と、そして、娘が生まれましたので、2人。 黒:じゃあ、ロサンゼルスに、あなたは、だから…。
ですから、日本舞踊だとか、お茶だとか、お花だとか、そういったものを、自分は、私は勉強したいっていう風に言うもんですから。 黒:日本にいらしてたの?じゃあ、日本語もベラベラ?マ:はい、そうです。 黒:すごい!マ:日本舞踊も、たまたま、私の知り合いだったんですけれども、林啓二先生、林流の。 黒:テニスプレーヤーの方は、その方は、どういう?マ:彼女はですね、主人がテニスをするものですから、最初は、一緒に遊んでて。
だけど、あなた、本当に、22年前にタレントをお辞めに…、まあ、休業なさって、結婚なさって、お嬢さんが、一人は、宝塚の男役、一人は、オリンピックに出るかもしれないテニスプレーヤーって、よくそんなに育ちましたね、でも。
マ:いやまあ、本当にいろんな、黒:マッハ文朱さんは、熊本ご出身。 まあ、こんにちは」マ:「よろしくお願いいたします」黒:「よろしくお願いいたします」「あなた、お父様を、お小さい時にお亡くしになったのね」マ:「はい、九州の熊本で」黒:「何歳の時でしたっけ?」マ:「小学校の3年生の時に。 それで『ひと夏の経験』というので注目を浴び始めた頃に、私もプロレスでという事で。 黒:もう出てらしたんですね、プロレスね。 プロレスもおやりになってらして。
ちょうど、私は、大体メーンイベンターか、一番最後の試合辺りなので、大体このぐらいかなっていう事で、それこそ心臓薬を片手に、父のところに「今日も無事に…」という風に、本当に毎回毎回、毎日、手を合わせてたという事をマ:少しは…。 まあ、私の事、マミーって呼ぶんですけど、でも、お嬢様たち通ってらした小学校っていうのは、なんか、ハリウッドのスターの子どもなんかがいたんですって?何人か。 場所柄、いろんなハリウッドのスターの方が、本当に何げなくジーンズに、Tシャツに、学校のそういった催し物をお手伝いしたり。