いつもピカピカねご自分でお付けになると仰ったけど非常に奇麗ですよね。 でも本当にいつもお元気なお二人をいつかは蜷川さんの舞台にねお出になるっていうことで。 蜷川さんの『ハムレット』にお出になったんですからね。 本当奇跡ですもの。 その時あれでしょ?お姉様も本当に心配だったでしょう?そうです。 この時からすごいねピカピカが入ってきててもうね…大変。 本当に波瀾万丈な…。 今日はまたそこのピカピカが。
ねえ本当に。 それで2人になって本当によかったんだけど。 だからねその当時はね本当親の哀れな姿見てねこれは親を助けないといけないと思ったから…。 本当そう。 それで東京にいらっしゃって山谷に住むことになったでしょ?その時はお父さんもお母さんも一緒だったの?それで本当の親子じゃないだろうっちゅうことでね随分ねつらい思いしたけど。 もう帯広のね時代からね自分の働いたお金じゃもったいなくて食べられないラーメンを流しのお兄さんが毎日ごちそうしてくれたのよ。
ごちそうしてもらったの?流しのお兄さんに?さてこまどり姉妹は浅草で流しをおやりになる時はでもストリップ劇場でお化粧もさせてもらったりなんかしてたんだけど…。 全部きょうだいとか親戚全部に流ししながら仕送りしてるんですもの。 何でもかんでも「お前たちね…自分はね食べるものと…それだけでいいから全部使いなさい」って言ってね今度私たちに…。 毎日働いたもの全部私たち使っていいっちゅうことになって。 そのお金でなんか学校の本買ったりなんかして随分自分たちで勉強したの?勉強しましたね。
もうお姉さんを好きになって好きになってあの頃お話伺ったらね今こうやってお元気でね歌えるんですからラッキー。 こまどり姉妹55周年。 そして浅草のほうで流しやったりしてタクシーがつかまんない…ない時は歩いて。 浅草から山谷まで随分あったんですって?歩いて帰るとね。 タクシーなんてね山谷怖がって行ってくれないもの当時は。 でもお姉様にしてみるとあんな刺されただの病気だのその他あなたも病気いっぱいやってらっしゃるのね。