夜間定時制高校に行ってその子供たちが横浜でも一番危険な街帰らないものですから「早く帰れ早く帰れ」って声かけてる間に何かもう…子供たちが心配になって夜の街を歩き続けて23年ですね。 でも対馬の時には残念ながら子供はいないで動物だけでした。 でもどんなふうに…先生が街の中を歩いて子供たちに声をかけていらっしゃるんですがとっても声のかけ方がお上手なんで…当たり前なんですけど。 今日はライブ?」「そこの…」「あっそうか」「渋谷危ないから。
去年はちょっと3月13日に胃を相当大きく切ったもんですから本当は動いちゃいけなかったんですが講演を引き受けてたんで無理をしてやりまして。 まあ定期点検というか定期健診を受けてそうか。 昔は「何だ?こいつ」って言ったのに「あっ夜回り先生って本当にいるんだ」って何かね僕は伝説の世界の仮想みたいなもんで。 でも今は火曜日の『ワイド!スクランブル』のコメンテーターもしてらっしゃいますので皆さんお顔をご覧になってますますあの先生だなってみんながきっとわかってるんだろうとは思います。
今日は泣かれる日だなと思ったら「先生覚えてないですよね?池袋で先生に声かけられて…高校を中退したばっかりで。 でもね関わった子供たち若者たちのうち134名を心の病で自殺事故死病死で失ってます。 水谷先生は非常に上品な感じでいつもスーツをお召しになってさっそうと歩いてらっしゃるんですけど隙間があって冬場になると雪が入ってくるんですね。 なんか誰でもいいから自分に対して関心を持ってくれる人からの言葉みたいのがみんな欲しいんだなって本当に思いますよね。 祖父母も本当に愛してくれたしおふくろも愛してくれました。
学生運動で疲れ果てて世の中にふてくされて夜の世界で生きてた時に高校の担任の先生がおふくろを呼んで「あんなことをやってたらあいつは駄目な男だ」と。 でもその時に得たものは?そうですね色んな仲間たち…国境を超えた仲間たちであの当時知り合った連中が今世界中で色々な活動をしていて…。 でもその時お母様が大変な生活の中からそうやってチケットと生活費を60万円も「いってらっしゃい」って机の上に置いておおきになったっていうことはやっぱり…ふてくされてその前遊んでらしたそうだけどやっぱりそこで一つの覚悟は…。
一生かかっても僕は秀先生には勝てない…哲学では。 全然違うんですけど私が書いた『トットちゃん』の小林先生もちょっとこういう感じの顔の方でした。 4月から大学に戻って空いてる時はもう秀先生の部屋でコーヒー飲んで一緒にたばこを吸いながら哲学を語って。 それを渡辺秀先生が証明してくれましたから。 渡辺秀先生のような人間になりたいです。 渡辺秀先生は最後まで僕にこうしろああしろ言わなかったです。
それでクリスマスイブの日にユースホステルの仲間たち…安宿ですね。 みんなにワインごちそうするから手伝えと…日本人を助けると。 大使館に行ったら連れてきたら保護するって。 そこをみんなで歩きながらその彼女のところに行ったらみんなで囲んでコートを着せて帽子かぶせて車に詰め込んで大使館へ。 本当に一人の人間をそうやって引き上げることができたっていうことは随分…やっぱりうれしいことだったでしょうね。 でも先生に一回会って何か言われた子はやっぱりまた言われちゃうと大変っていうふうに思うようですか?やっぱり。