ゆうどきネットワーク ▽シリーズ震災3年は、心のケアを見つめる。▽女川カレー

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この番組のまとめ

仮設住宅で暮らしているが災害公営住宅に入居予定。 宮城県塩釜市の下舘とし子さん。 しかし、地元産のホヤはなく値段が高騰した県外産のホヤを仕入れ赤字覚悟で販売をしていました。 多くの養殖業者が資金不足で仕事を再開できずにいるためです。 韓国での海産物の輸入規制はホヤの養殖漁業に関係するのでとても気になります。 港などの整備が進まない状況で水産加工場などの建設が遅れ産業振興の先が見えない。 沿岸漁業は船も資金面で大変なのでカキ、ホタテの養殖漁業に転換した。

宮城県の女川町からです。 何で女川でカレーかといいますと震災当時、ボランティアの人たちが炊き出しでこのようなカレーを出してくださったと。 まだまだ11店舗ですがこれから増えそうですか?町外のほうに出て行っているお店の方もいらっしゃいますが、今後、町が出来たらまた戻ってきて女川町で女川カレーを出してもらいたいと思っています。 皆さん頑張っている一方でこの女川町全体的に言えることなんですが、2年後にはかさ上げの工事が各地で行われるために店なども移転しなければいけません。

震災から2年の間はがれき処理、片づけ引っ越し作業にすべて使い心身ともに疲れ果て、うつ病の初期症状が出ていました。 震災1年後ストレスなどで体調を崩し子宮がんを手術。 震災から8日がたった岩手県宮古市津軽石地区。 堀内幸子さんです。 震災の日、夫・泰一さんは市内の海岸で護岸工事の仕事をしていました。 震災以降、堀内さんはもう1つのカレンダーであの日からの日数を数え続けていました。 一方で、堀内さんの生活には変化もありました。 震災前にやっていた電子部品の組み立ての内職を再開。

岩手県大船渡市の永井功さんです。 住んでいる仮設住宅で支援員をされている方なんですけれども私は支援員という仕事をしていますが中にはまだ震災から精神的に抜け出られずにいる人もいます。 番組では震災後から被災された方々の心の問題を見つめてきた方々を取材しました。 北海道の味覚、まいりましょう。 どういうことですか?出身も北海道で北海道のおいしい食べ物で育ってきたんですが、今回も食べてきました。 今回も食べてきましてご紹介するのは北海道の西部にある羊蹄山の周辺です。