今日は 銅版画家の山本容子さんにお越し頂きました。 さあ その山本さんですけれども以前 ご出演頂いた時の俳句は憧れの存在だとおっしゃってた…今 いかがですか?憧れの櫂さんを横に置いて またというような…。 先生もいらっしゃるんだそうですね?小説家の小林恭二宗匠です。 始められて 楽しさ 面白さってどういう事ですか?ちょうど 12人ぐらい集まって俳句を全然 作った事ない人12人集めてよちよち歩きの我々を こう飼って下さってるんですけれども。
これは私 今 読んでみますとこの 「薬玉」というのは さっき櫂さんがおっしゃったみたいな子どもの成長を願ったり要するに健康でねというのがある訳だから。 「嬰は一気に 雲掴む」というとその 健康を願ってサッとした成長を願うというふうにも読めるし薬玉自体が家の中では うちの母なんか言ってるようにちょっと 軒というか鴨居の辺からあった。 薬玉の気持ちになっているようなそして 大変 優雅な感じがこの一句には込められていると思いましたね。
やっぱり 座敷童というのは幸福をもたらすといわれていますから 多分このおうちは 大丈夫だろうと。 高齢者のプラトニックが 大いにふさわしい花と思います。 俳句を作る時に どうしても五七五にまとめたくて変に 言葉を省略してしまう事が時々 あるんですね。 分からない程度の風に長命縷が揺れているというね。 私の場合は 例えば今 「肖像画のシリーズ」というのを描いてるんですがその肖像画でも テーマに選んだこちらに あるんですけれども銅版画なんですけども。 これは芥川龍之介さんの肖像画を私が描いた物なんですけれど。
そういう つまり私と芥川さんの距離感はこんなものですよというのを悩むというか苦しむというか創作って つらいですよね。 コミュニケーションができた。 やっぱり 俳句と同じで作った側とそれを鑑賞する側とのこのコミュニケーションという点ではそこで一個 仕上がったという感じがするんですね。 これは 今の芥川龍之介の。 別に芥川龍之介さんの写真みたいに似せようなんて思ってません。