黒柳徹子:今日のお客様は、皆様、よくテレビでもご覧になると思いますけど、政治学者、作家でいらっしゃいます、姜尚中さんでいらっしゃいます。 黒:政治学者、そして、小説家でいらっしゃいます、姜尚中さん、今日のお客様。 黒:9年前って、その頃は政治学者として、随分、大活躍で、『朝まで生テレビ!』とか、そういう討論番組とか、いろんなものに出ていらっしゃって。
ですから、まさか、あれだけのものが起きるとは、僕も、昭和25年、1950年生まれですから、戦争体験もないですし、まあ、ビックリしましたね。 坊ちゃん…、名前は本当の坊ちゃんの名前なんだけど、ライフセーバーの人に話を随分お聞きになって。 ライフセーバーって、普通、人の命を、海行ったりなんかして助ける人なんだけど、ボランティアとしてなさった人のお話を書いてらっしゃるんですけど。 でも、何体か遺体を引き揚げられて、それを、僕は、インスピレーションを受けて、ライフセービングならぬデスセービングだと。
黒:息子さんの事を皆さんに知らせたり、書くつもりはなかったという事はあっても、そこに、この東日本大震災っていう、すごい事があって、それで、結局、お書きになる事になったんだけども、そういう、もし、東日本大震災がなかったら、多分、この本は、もしかしたら、こういう形では出なかったんでしょうね。 ですから、物語にして、僕がいなくなっても、息子の名前は残っていくし、それが小さな単行本になっても…。 漱石は熊本の高校で、旧制中学時代、教えてたんですね。
黒:奥様とは、どうやってお会いになったんでしたっけ?姜:僕がオーバードクターの時代に。 黒:オーバードクターっていうのは、どういう…?姜:オーバードクター、大学院の正規の課程が終わって、そのあと、まあ、年限を過ぎてしまった状況ですね。 黒:で、まあ、奥様、そこでアルバイトしてらしたって事が、あとでわかって。 黒:それで、積極的に、そういう風に働きかけて、戦争中でしたから、ちょっと、いろいろあって。
黒:奥様のお父様とお母様は、在日でいらしても、可愛い娘になったと思います。 そういうものを含めて、これは、僕にとって、第2作目の小説なんですが、将来は、息子の事を最後に書こうかなと思っています。 ですから、僕自身も、1人の親として、あられもない姿になる時もあるんですが、なかなか、自分の社会的な顔っていうのもあるし。 まあ、僕も悩んでいますけど、ただ、あと残された人生は、末永く元気で、最後の一瞬まで、やっぱり生きていかなきゃいけない。