徹子の部屋

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電撃再婚なさいまして、そのままロサンゼルスに13年間お住みになって、去年帰国なさいました、榊原るみさん。 それからが、ロサンゼルス生活11年。 黒:映画監督?榊:映画監督…。 映画監督をしておりますけれども。 黒:この方、『マリリンに逢いたい』とかですね、その前には、日活ロマンポルノなんかも撮ってらした映画監督でいらっしゃるんですけども。

それで本当はね、2人で、魚釣りかなんか南の島でして、老後はのんびり暮らしたいねなんて言っていたんですけれども、まだちょっと、それには早すぎるっていう事で、結局いろいろありまして、ロサンゼルスを選んだ。 お嬢様は日本に、もう大きいから、松下恵さんは日本において、ロサンゼルスにいらっしゃって。 そしたら、当時、そうですね、ロサンゼルスの方たち、皆さん、車に国旗をね、付けて、みんな走ってましたね、アメリカの国旗を付けてね。

榊:最初は、1本で終わりかと思ったんですけれども、やはり、日系人の方たちが非常に応援してくださって。 最初は、日本人の私たちが日系人の映画を撮るっていう事に関して、日系人の方たちから反発があるんじゃないか。 榊:東洋宮武さんっていう、当時、戦争中、日系人の間では、非常に有名な、大変、人望のある…。 日本にいらして、女優さんもやってたけど、本当に、お嬢様育ちで、波瀾万丈じゃなかったじゃない、そんなには。 それに向かって、上映したいっていうんで、走っていて、あと1時間でラスベガスよって…。

で、なんか言ってるんで、私が「ヘルプミー、ヘルプミー」。 で、「ヘルプミー、ヘルプミー」。 榊:あとからね、夫は、「どうして、あんたも乗せてくれなかったんだろうね」って言うんですけれども、夫だけ乗せて、私は救急車で病院に行って。 それで、病室で、処置室で、左手が伸びなくなったんで、運転出来なくなった…。 一応、病院で、旦那様、隣にいるよっていうところの続きを、ちょっとやっていただいていいですか?でも、よく、亡くならないでよかったですよね。

黒:そうすると、自動車の運転が出来ないんですよね。 榊:あとはね、ヘリコプターで、彼は、本当に10分しか運んでもらわなかったんですけど、そしたら、あとからヘリコプター会社から、2万4000ドルだと。 うちのヘリコプター会社は、お宅の保険会社と契約してないって。 黒:1日でですか?あとは保険会社が、どうしてそんなにふっかけるかっていうと、保険会社が、今度はたたくんですね、それを。

ロサンゼルスで、やはり住んでおりましたから、その家財道具。 で、あなた、ほら、お掃除がすごく好きでさ、前にも、随分、お掃除上手でね、キレイ好きだっていうお話、伺ってましたから、黒:それで、ご自分のものなら、まあ、捨てちゃっても構わないんだけども、お母様のものだと、どうしようかって、いちいち…。 黒:とにかくビックリしたんですけど、トラックいっぱい、まだ使えるものも含めて処分したらば、おいくらだったの?榊:あのね、7万円って言いましたね。

榊:監督という職業ですから、資料とかね、パンフレットとか、本、もう膨大な数であります。 でも、本当にあれですよね、13年前に、前のご主人と離婚しますっていうところで、お別れしたものですから。 黒:だけど、久しぶりにテレビにお出になって、「私、ただのおばさん」っておっしゃって、何ももう、女優さんの仕事はしてらっしゃらないの?榊:向こうではね、あのね、たまに「かつて、あの人は今」なんていう番組がありまして、そういう時に、取材にね、いらっしゃって。 黒:失礼ですけど、何歳におなりでしたか?榊:還暦過ぎましたの。