徹子の部屋

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この番組のまとめ

黒柳徹子:はい、NHKの美人アナウンサー。 右が今日のお客様。 はい、下重暁子さん、今日のお客様です。 黒:今日は、まず、マントのお話からなんですけど。 下重暁子さんです。 下重暁子:よろしくお願いいたします。 そしたら、俳句のお席で、徹子さんにお会いしたら、「まあ、いつも聞かれて可哀想ね」って言ってね。 本当に、あなたは、白いのでつってらしたから、みんなが「どうしたの?」って、すぐに、俳句でも聞くじゃない。

で、別れ際に、マントを届けようと思ったので、電話番号と住所教えてって言って…。 黒:しかも、あなたがね、ご主人について中東の方にいらっしゃって、「コーランが聞こえる」っていう本をお書きになったでしょ?いつも、そういうイスラム教の人たちの話をお書きになった時に、旦那さんがいるって、私、赴任先なんだから、知ってたのに、それから、ずーっと同じ人と結婚してると思わなかったの。 オペラも、私も好きだから、しょっちゅう一緒に行くとかね。 黒:でも、そうやって、一緒にオペラ行ったりさ。

だってね、うちはもう、全然期待してないの、相手に。 すごいのね!下:だって、期待してね、誕生日を覚えてなきゃ嫌だとかさ、なんか…。 窮屈に考えると、それがないと不満になるでしょ?相手に期待しなければ、不満が生まれませんから。 この頃は、そこに、お花も生けてくださってっていうのが黒:一番最初に、ちょっとご紹介した、お持ちいただいた写真。 NHK美人アナウンサーと呼ばれた頃の写真ですけども。 それで、私たち2人は、アラタノオロチっていう、あだ名がついてましてね。 アラタノオロチ。

でも、あの頃、2人とも、ちょっと、街でネグリジェみたいなの買うと、2人でさ、それを着て、しゃなりしゃなり、部屋で2人でファッションショーやったってね。 もう、月給日前になると、黒:野際さんの方が先だったの?下:もちろん先に辞めましたよね。 黒:まあ、そんなわけで、野際さんとも、だから、本当に…。 「あなた、テレビに出るなら、毎日出てなきゃダメよ」っておっしゃったの。

ところで、全然、話違うんですけど、あなたのお父様は、職業軍人でいらっしゃって、あなた、旅順でお育ちになったの?下:いえ、違うんです。 お父様、お母様、向こうにいらっしゃって。 ちょっとコマーシャル挟みますけど、その旅順にいらっしゃるあなたのお父様へ、お母様がお出しになったおはがきが残ってるのね、今でも。 お父様が取ってたんで、お母様のはある。 黒:旅順にいらしたお父様に、お母様が、よく、はがきをお出しになっていて、お父様が、それを残しておおきになったので、100通ぐらい残っている。

下:しょっちゅう、手紙書いてたわけでしょ?あの頃はね。 とんでもなくね、情熱的な事が書いてあったりして、ビックリしちゃう。 「お供を出来ないのが、本当に残念でした」。 下:本当にね、私の知らない母がね、いっぱいいましたよ、その手紙の中に。 黒:ところで、また話が全然違うんですけど、今年の3月に、あなたのお友達が、芥川賞をおとりになって。 下:友達っていっても、同級生…。 早稲田のね、同級生で、特別仲がよくて…。 黒:教育学部国語国文学科。 黒:同級生。

でも、あなた、その日、なんか、三島由紀夫さんが好きだったっていうお食事を…。 三島由紀夫さんが亡くなる前の日にね、会食をしたという鳥屋さんが…。 黒:とれない人もいるかもしれないけど、自分が本当に好きな事は、何十年経ってもやれるって事よね。 ちょっとコマーシャル挟んで、旅順へいらしたんで、大急ぎで旅順の写真を。 黒:去年、下重さんは、ペンクラブの皆さんと中国へいらして。 でも、今のは、『この一句』っていうのは、俳句のご本でしょ?やっぱり、ほら、自分の俳句見せてもいいっていうぐらいだから。