徹子の部屋

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この番組のまとめ

皆様にあったかもしれませんけれども、ご本人はとても生き生きとした方で、ここでも非常に明るく、ご自身の人生の事とか、それから、お嬢さんの宇多田ヒカルさんの事などもお父様が浪曲をなさいます?藤圭子:いえ、父も母も2人とも、両方とも浪曲やってまして。 黒:お母様、三味線じゃなくて、お母様も浪曲なすって?藤:母が浪曲をする時には父が三味線をして、父が浪曲をうなる時は母が三味線を弾いてって感じで。

黒:お嬢様はですね、なんと今、13歳なんですが、このお嬢さんが歌がうまいのがビックリしちゃったんですって?2人でいつも、スタジオ行ったりする時も、まあ、連れて歩くんですね。 黒:しょっちゅう出かけて、詰めてやる時は、もう3日も4日もスタジオ?藤:で、スタジオで夜中になると、音楽ガンガン鳴ってるところで聴きながら、疲れて寝てるわけなんですよね。

ところが、この、幼稚園の年少組からですね、人気が出てきちゃって。 そうしてもう、みんながアンパンマンって言うようになってですね。 僕は、色々ですね、描いてる時は、これは非常にユニークなものを描いてると、実は思ってなかったんだけど、自分の顔を食べさせるなんかをやっつけるという事じゃなくて、今ね、飢えてる人を助けるっていう事の方が、♪~「ぼくらはみんないきている」僕らの描いてる漫画はダメになっちゃったんです。

黒:先ほどもご紹介申しましたように、直木賞を『花のれん』という作品でお取りになりましたが、船場の昆布屋さんの、大変なとこのお嬢様でいらっしゃいまして。 あと、学校は、京都女子専門学校国文科をご卒業になって、本当に戦争の末期なんですが、昭和19年に大阪の毎日新聞の学芸部にお入りになりました。 山崎豊子:はい、井上靖さんです。 それで、井上さんが私を大変、構ってくださいまして、箱物、まあ企画物というんですが、自分で企画して、それから連載を何回も書くと、とんでもありません」って言ったの。

山:パール・ハーバーの攻撃によって、アメリカにいた日系人、日系アメリカ人がですね、日系人が老人、子ども、女まで、全部、砂漠の強制収容所に入れられるという事で。 それで、今までは、『白い巨塔』以外、社会的なそれの場合は、骨身を削って書いてきましたけど、今度は本当に、中国は命を懸けて書いてきました。 あの広い中国大陸を、私と、私の秘書の野上孝子と2人で女2人が、地を這うようにして、もう本当に…。 まあ、今までの作品も骨身を削りましたけど、本当に今度は、飛行機だって、ドアが開きそうになったりですね。