今日のお客様、女性向けの番組を20年間も生放送で…。 黒:今日のお客様は、『徹子の部屋』は初めてのご出演でいらっしゃいます。 『レディス4』という番組を20年間、生放送で、月曜日から金曜日まで司会をしておられました。 と同時に、ご高齢のご両親の介護もなさったという、大変な生活でいらした、小林節子さん、今日のお客様です。 今日は、色々、介護という事で、働いてる女性が介護っていうのは、並大抵の事ではないと思いますけども。 とにかく『レディス4』をおやりになりながら、生放送で。
妄想とかが出てきたもので、そのために、大喧嘩というか、母と毎晩、夜中までですね、大討論会になったり…。 黒:それと、あなたが、生放送が終わって、転げるようにお家へお帰りになると、そこで、お母様とずっと。 でも、その反対に、離れたが故に、その2年は本当に兄夫婦に感謝してるんですが。 それまでは覚悟じゃなく、一緒に生活するだけで責任があると思いましたのはね。 小:私、徹子さんのおかげでなんか最後の親孝行、なんていうんですかね、生き生きしてくださるとね。
お水ぐらいで、あとは、もういらないとおっしゃった時に、黒:お話が、ちょっと後先になりましたけど、小林節子さんはフジテレビのアナウンサーでいらして、逸見さんと?小:そうですね、同期でした。 高校時代からの仲よしだったんで、フジテレビにね、なんか、ご縁がありましたけども。 それで、アナウンサーだけは2年契約、2年保証っていうんで、しばらくはいられましたが、でも、フリーにならざるを得なかったっていうのは、そういう事もありますね。
でも、そういう風に介護士の方たちが、本当に私は人に恵まれてたと思うんですが、介護士の皆さんも本当に助けてくださったし、友達も、浅草にいた時もそうですけど、信州へ、黒:そうそう、永さん、永六輔さんがね。
黒:だから、肉体のあなたよりも画面のあなたをきっとご覧になるのが、お母様はきっと、おわかりになると思いますから。 だから、お母様、大丈夫ですよ、お元気になっていらしてくださいね。 黒:まあ、最終的には長野県の原村というペンションをお借りになって、お部屋が10もあるとこなんで、そこで、色んな事が出来るし、お父様もそこにいらっしゃったり、お母様もいらっしゃって。 近くに、なんと、すごくいいのは鎌田先生が。 小:鎌田先生に直に来て、お願いしているわけじゃないんですが、諏訪中央病院っていうのがありまして。
だから、結果、お父様はご自分の意思で生きて、ご自分の意思で亡くなったっていう事ですものね、それはね。 黒:でも、お父様は関東大震災、戦争、終戦後、何言っても、全部、体験なさったんですってね。 でも、自分の最後は、やっぱり、多分、友達何かとで、シェアハウスか何かで、そういうので、今、小さい…。 今、シェアハウスって、とっても気に入ってるのね。 黒:シェアハウスっていいなって私も思ってます。 昔の言葉でいえば、職業婦人?自分も憧れてて。